自分より少し若い世代を本気で助けたいBBAが出来ることを真剣に考えた
今、一番苦労してるのって30から40台の女性な気がする。フェミニズムだジェンダーだなんだという言葉が前面に出るようになって一番自分の生活で衝突する世代がこの世代のような気がするのだ。
私は50台で既に子供は大学生。いわゆる「子育てはひと段落」だ。子供が大学に入るために家を出ることで私は自分が予想してる以上に自由になった。一人で飛行機や新幹線に本当に乗るようになったし英語もたいして出来ないのに何故か国際派として飛び回っている。
私の家族はそんな私を比較的自由にしてくれてるので感謝である。そして家族それぞれが各自の世界をしみじみと楽しんでる。正直、それぞれの考え方で心底同意できない部分もあるしそれって今の時代まずいんじゃないの?ということがあっても「場所をわきまえておけば大事にはならないだろう」で済んでいる。
息子は18歳になった。いわゆるZ世代である。Z世代の動向をちゃんと把握してるわけではないけど読む限りでは私たち親世代とは確実に違う。ジェンダー的な考え方や仕事や生活に対する考え方も明らかに違う。
わかりやすい例だと我々世代はつい若い人に「将来何になりたいの?」と聞いてしまう。そして「○○になりたい」という返答を期待してしまう。
変わってもいい。とにかく今、定義してほしいと思いがちだ。しかしZ世代である息子はそのような質問をされるとこう答えていた。
「今はこういう勉強がしたいけど、大学を出たらどうなるかは数年後のことはわからないので何になりたいとか決められない、その時に自分が選択できる最善の選択が出来たらいい」
ああそうですよね。確かにそうですよね。5年前とかAIがこんなになるなんて考えもしませんでしたもんね。確かに後3年後どうなるかなんて今決めろってのは無責任な発言ですよね。ほんまにすみません。。。
なのでZ世代はもう全然違うね。って割り切れる。彼らも私たち若手高齢者世代(老害って言われないだけ光栄だと思ってる)は自分たちに悪い影響がなければ別に害はないと思ってくれてるように見える(息子と息子の友人たちがそういうタイプなのかもしれないけど)。
そこで私は想う。今、一番苦しいのはこのZ世代(〜20代)と若手高齢者世代(50代〜)の間の世代、30代から40代なのではないか。
30代から40代の女性たちは世界を変えなきゃいけない!と切に感じて、行動を起こしてる人も多い。そして同世代の男性は「何故変わらなきゃいけない」と考える層も存在する。一番厄介なのは「ジェンダーバランスや差別など、世界を変えなきゃいけない(でも俺の周りは別←無意識だけど強固)」という思想。そしてこの思想を持つ層は実は少なくないように見える。
そして何が厄介ってこの層は実際に社会でアクティブに動く世代。つまり実質的な衝突が避けられないってこと。
避けられない衝突と向き合わなきゃいけないのって本当に辛い。そして世代間の考え方の違いってのもある。
映画「バービー」で母親と娘のフェミニズムに対する考え方の違いからくる気持ちのすれ違いは深く考えさせられた。
この出発点の違いに気がついてから、私は自分がいわゆる逃げ切れた世代であることを自覚するようになった。同時に辛いことをある程度終わらせた世代であることも。今、日本で50代であること、ここを自覚してるかどうかってすごく実は重要な気がする。(つまり日本では逃げ切れた層とそうでない層が確実にいるのに国民が皆同じであるという思考に囚われすぎてる。これは高度成長期のいい思いだけを垂れ流しているような報道にも責任があるよね。)
今、各場面で頑張ってる自分より若い世代。心から応援したいと同時に身を削るような発信を見てると自分の無力さに情けなくなる。同時に自分が何ができるのか考える。
自分が自分が一番不幸だと勝手に思い込み悪戦苦闘していた15年ほど前、それは私の子育て時代と重なる。そして同時にそれは私が美術に積極的に触れに行った時代とも重なる。私は自己肯定感がマイナスからの思考だったので自分が誰かに助けを求めていい分際だと思えなかった。(実際は多くの人助けてくれたと今ならわかるんですよ、でも当時は本当にわからなかった)。だから私はひとりでも行ける美術館や博物館に赤子を抱えて出かけ続けた。
結果的にそこで私は自分の中で完結できる快楽を見つけることが出来た。そこには誰かと共に行う場合に起こる可能性がある調整やドタキャンは存在しないし(私の誘いは迷惑じゃなかろうか)という迷いも存在しない。だって自分の中で自分で決めて自分のタイミングで出かけられるのだから。
この自己の世界での完結が当時の私には一番達成しやすい解決方法だった。
話がまとまらない。今、辿り着きたいのは「悩んだらどうしたらいいのか」だ。自己完結が一番気持ちが軽くなるのだから「自己完結」を流行らすのがいちばんの近道なのかな。でも自己完結のみだと辛くなっちゃうのは自分で経験済なので「あなたのままでいいから楽しく〇〇してみましょ、わっしょいわっしょい」と楽しくやりたい者同士で楽しくやる、くらいしか思いつかない。
何の解決にもなってない、ように見えるかもしれない。でも「○○以外は××すべき」という思想を持った人って、相手にされないのが一番堪える、というのは経験から自信を持って断言できる。
こちらの思いを押しつぶす輩を無視するのではない、楽しくやれるメンバーだけで楽しくやるのだ。もしメンバーが見つからない場合は自分で自分を楽しませるのだ。思い切り、遠慮せずに楽しませるのだ。
人生はこれから何が起こるかどうかわからない。いつ倒れるかわからない。だからこそ楽しむこと信頼できるメンバーと最優先するのだ。だから自分も自分を楽しませてる姿を見せよう。それが苦しんでる人に対する気づきになると思う、思いたい(私が若い時には自分で自分を楽しませてる女性は本当に少なかった)。
そして自分より若い人に「あんな風に自分でただ楽しんでるBBAもいいよね」と思われたい。
そもそも、日本は「金をちゃんと稼いでる」「定職についている」「家庭から過度に出かけない」人が良き大人って思いすぎなんだよ。っていうか自分がそうだったからなんだけど。ちゃんと○○してる、が旧式すぎなんだよね。ちゃんと勤めてる、ちゃんと主婦してる、ちゃんと子育てしてる、ちゃんと介護してる、などなど。
これだけ世界が変動して考え方や社会的ルールが変わっているのに古い思考に囚われているのは思考が固まってる表れだよね。
人がどういうフィールドでどんなふうに生きているかはその人によって違うのだからまず最優先に思わなきゃいけないことは「その人のFirst Mindが幸せかどうか」な訳でその人がどんなふうに生活してるかはその次に考えるべきことなのにね。
いつもnoteを書く時にはすごく構成とか考えるのだけど今回はなんだか殴り書きをしてみたくなった。時々殴り書きをしてみたいと思う。